滞ったどこの騒ぎじゃないや。もう一年以上ここで書いてなかったんだ。いやあ、日々の雑音に身を委ねていると本当の音が聴き分けられなくなるから注意が必要ですなぁ。でも雑音がない世界もそれはそれで非常に生きにくい世界なはずで、というかなんとも気味の悪い居心地の宜しくない空間なはずで、ずーっとシーンとしてて、そりゃもうシーンとし過ぎてるから、いつからかずーっとキーンと耳鳴りがしている錯覚に陥ってしまって、きっとそれがキーンと聴覚的に体感できるまでの本当の耳鳴りに発展してしまい、、ああ考えただけでも恐ろしい、完全の無音ってのもそれはそれで酷ですよ。なにごとも中庸が調子イイってなことですわ詰まるとこ。ってなんのこっちゃですが、ぼくももう最近はあまり無駄に酒ばっか呑まないようにしております(昨日から)本年の抱負らしきものとして毎日、何かしらの文章を書き連ねようぞと自らに課してみたのですが、まだ二日と実現できていない使用もない阿保野郎ですよボカア、いや本当に、惰性を背負って生きているような愚図です。朝からの曇天が嘘のように晴れ渡った午後、自分のそんな駄目さ加減がよりいっそう露わになってしまい、その存在感たるや否応なく迫り来るようで、もう尻尾巻いて逃げる、というよりはむしろ開き直って光の方に進み出し、散歩するしかないんです。降り注ぐ光、からだを包み込む熱、ぬくもり、暖、、しかしさぁ、まあそんな悲観するこたないよキミ、その調子っ外れた人生観も捨てたもんじゃないかも知れんよ、なんて優しく励まされている気がしてたちまちに元気を取り戻すの繰り返し。イイ気なもんです。そんな私にも一週間ほど前から些細な楽しみができまして、一緒にバンドやっている岡本くんに今までの深夜食堂、全部ユーチューブに落っこってっから観てみマジ、セイジぜってえ好きだって、いやもう本当サイコーなんだよ小林薫、って耳寄りな情報を頂いたその晩から小林薫に癒されております。暖。
非難することは容易い。避難することも簡単だ。
ニュースってのは、大きくなればなるほど、一方通行になってしまう。
みんなすぐに答えが欲しくなるから、いつも答えは単純化されてしまう。
僕らはただ、もっと知らないことを知る必要があるんだと思う。
知らない場所を訪ね、知らない本を読み、知らない音楽を聴いて、知らない宗教や文化を習い、知らない人々と交流して、知らない食べ物を食べ、知らない酒を呑む。それはこの国の、この街角でもできること。
いつもの日常から離れた場所にこそ、そーっと、答えは隠れているものだから。
そんなこと考えていたら僕も僕で、、焦燥感、今年こそ本当にバンジョーを買って練習しようと思う。マンドリンでもいいけど。ってなんじゃそりゃ。