ビートルズとは何故に永遠なのか?原発事故の責任の所在を求めて、ってまあ明らかではあるにしろ、スターバックスコーヒーでとある本を読んでいた。いや、別にその中に大いなる答えを探していた訳ではなく、現在的な思想を語る二大賢人、中沢新一、内田樹両氏の切れ味豊かな対談に救いを求めたのだった。テーマとしては現在の日本が置かれている状況、文脈をそれぞれの専門的見地から読み解くというもの。それは一切堅苦しいものではなく、賢くてユーモラスな中年の仲良しが二人、ただおしゃべりを楽しんでいるという内容。特に勇気づけられるのは、日本にもこんな素敵な言葉を発信できる大人がまだいるということだ。どこか無頼でパンキッシュ、日本社会を当たり前のように包み込んでしまっているテーゼに完全に抗う、そんな言説、姿勢に大変勇気を頂いた。一つの対談を一冊の本にまとめたのではなく、古くは2009年の対談まで遡っているので、震災後に行われたものは最後の章しかない。ただ、震災後の今読んでも違和感がないほど、一冊まるごとアタマからオシリまで、在るべき日本の未来を語っている。そして何よりも、内田樹氏が震災後の四月に自身のブログに掲載した文章、これが事故の本質をぐっさりと突いている。ど真ん中を串刺しに貫いている。本著の最後に収められているので是非目を通して頂きたい。
さて、ビートルズは何故に永遠なのか?ボクはTSUTAYAと併設しているスターバックスコーヒーでこの本「日本の文脈」を読みながら考えていた。その空間で、たくさんのミュージシャンがビートルズの楽曲をカヴァーした曲たちがエンドレスに再生されていたからだった。インストロメンタルも含め、ビートルズのカヴァー曲、すなわち他のプレーヤー、歌手によって再生産されたビートルズの楽曲はこれまで数えきれないほど耳にしてきた。それは当然、ビートルズを敬愛するミュージシャン本人の意向で作られたものも多数あるだろうが、本質として、受け手の「需要」があるからに他ならないのだと思う。世のリスナーは、ビートルズのカヴァー曲が好きなのである。
思い返してみても、えええぇ〜このヴァージョンはさすがにナシでしょうぅ〜〜というのに出会った記憶がない。オリジナルの完成度があまりに高いからこうなるのか?いや、そんな単純な理由では片付けられないはず。それは作り手、つまり焼き直しを計るミュージシャンたちの、ビートルズに対する並々ならぬ愛情がしっかりと介在しているところも大きいだろう。溢れる愛情は演奏に出るし、歌にも出る。なぜなら私自身もビートルズを敬愛する人間の一人だから分かる、何となく。聴き手の我々もオリジナルに対して愛情を傾けているからこそ、その絆は一層強くなる。
オリジナルが好きなら、カヴァーされたら逆に厭なんじゃない?という意見も聞かれそうだが、面白いことにそうではない。ビートルズの曲はあまりに「普遍的」だ、という認識が底流にあるのだ。最早クラシック音楽の名曲と立ち位置は変わらない。三百年前に作られたバッハのバロック音楽と同じ扱い、そのような存在であるという認識。この通念が、いつの間にか音楽業界も含め、社会全体を支配してしまった不思議。スタバでループするカヴァー曲集はボクにそんなコトを語りかけてくるのだった。
まあそんなことはどうでもいいとして、まだ聴いてないんだ、Roberta Flackの新作アルバム、全部ビートルズのカヴァー曲らしいね。In My Lifeはラジオでよく流れてたから耳にしたけど、アレンジが素晴らしかったのでアルバム単位で期待できるかなと。